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東京地方裁判所 昭和35年(ヨ)2127号 決定

申請人 日本信託銀行株式会社

被申請人 日本信託銀行労働組合

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

理由

第一当事者の求める裁判

申請代理人は「被申請人は昭和三十五年五月二十三日及び同年六月三日申請人に対してなした各争議の通告を取消し所属組合員をして同月二十三日まで右通告にかかる一切の争議行為を行わせてはならない。申請費用は被申請人の負担とする。」との決定を求め、被申請代理人は主文と同旨の決定を求めた。

第二申請人主張の申請の理由

一  申請人(以下、会社という)は東京都内に本店の外十一支店、一出張所を、大阪、京都、横浜、千葉、市川、水戸、宇都宮、高崎各市に支店を、日立市に出張所を有する資本金十二億円の銀行であり、被申請人(以下、組合という)は会社の従業員千百五十一名中九百一名で組織する労働組合である。

二  そして会社と組合との間には昭和三十四年三月二十四日有効期間を一箇年とする包括的労働協約が締結されたが、昭和三十五年二月二十二日会社から組合に、翌二十三日組合から会社にそれぞれ右協約改訂の申入がなされたので、右協約はその第三十二条の規定により自動的に延長され新しい協約が成立しない限り同年六月二十三日まで効力を有するに至つた。

三  ところが組合は右協約の改訂申入にあたりそのいわゆる債務的部分につき重要且つ広汎な変更を加えた改訂案を提示し同年五月九日から同月二十三日までに行われた労使協議会及び団体交渉において右提案どおりの改訂を要求し右要求を貫徹するため同月二十三日原告に対し同月二十七日から無期限に時間外及び休日勤務の拒否、営業時間外にわたる出張の拒否、人事異動の拒否竝びにリボン着用の争議を、同年六月一日から無期限に正午から午後一時まで一斉休憩の争議を行うべき旨を予告のうえ逐次これを決行し更には同月三日原告に対し同月七日午後六時以降無期限に全面的ストライキを行うことのあるべき旨を通告して来た。

四  しかし組合の右争議行為は前記のように同年六月二十三日まで有効たるべき現行労働協約の改訂を目的とするものであるから、労働協約にその本質上内在する相対的平和義務すなわち協定事項の変更を目的としては争議行為を行わないことを主たる内容とする債務の不履行に外ならず、もとより違法な争議行為たるを免れない。従つて会社は組合に対し前記労働協約から生じる平和義務履行請求権に基き右争議行為の差止を請求し得べき筋合である。

五  そして会社には右請求を目的とする本案判決の確定を俟つては著しい損害が発生するので現在右争議の差止を必要とする事情がある。すなわち、

1  もともと組合の要求は労働協約の債務的部分の変更にあるのであるから、労働条件に関する要求と異り争議に訴えてまで緊急裡に実現しなければならないものではない。しかも現行の労働協約には労使間の意見が一致しない場合でも労使協議会及び団体交渉において極力解決に努力し更には双方の承認する第三者又は労働委員会の斡旋又は調停を仰いだうえでなければ争議を行わないといういわゆる平和条項が存する。ところが組合は会社が争議によつて生ずべき対外信用の失墜及び取引先の混乱を恐れるのに乗じ右のように不急の事項を実現するため平和条項を無視して直ちに争議に訴えたものであるから、著しく信義に背いた行為であつて、争議権の濫用ともいうべきである。従つてこれを差止めても、組合にさほど打撃を与えるはずはなく、もとより争議権の侵奪というには当らない。

2  一方会社の営業目的たる銀行業務は対外信用を基礎として同業他行をはじめ各種企業と直接の取引上竝びに金融経済の機構上密接な関係を有しこれに伴い高度の公益性を具えるものであるから、組合の現に行いつつある争議はいわゆる遵法斗争の形をとつているとはいえ既に会社の対外信用を著しく毀損したのみならず取引先竝びに同業他行に甚だしく迷惑を及ぼしているのが実情であつて、組合がもしその通告のように全面的ストライキに突入するときは金融界は勿論産業界全般に極めて重大な事態を惹起する虞がある。このことは会社の規模、取引高等から十分予想されるところであつて、これにより生ずべき損害は争議の差止による組合の損害とは比較にならないほど甚大である。

六  よつて労働協約に基く平和義務履行請求権保全のため本件争議行為の差止を求めるものである。

第三被申請人の答弁

一  申請の理由中一ないし三の事実は認めるが、四、五の主張は争う。

二  申請人主張の労働協約は申請人主張のようにその有効期間につき自動的に三箇月の延長をみた結果昭和三十五年六月二十三日まで効力を有するに至つたものであるが、右期間は団体交渉により新しい協約が成立することを予定しそれまでの無協約状態を回避するために設けられたものであるから、右期間中においては新しい協約締結を目的とする団体交渉が許されるのは当然であり、団体交渉に労使対等の立場が要請される以上、組合が争議権を行使することも許されてしかるべきであつて、平和義務が存続すべき法理上の根拠は既に失われているものと解すべきである。

三  仮にそのように解されないため組合が行い又行わんとする申請人主張の争議行為を以て平和義務に違反するものと目すべきであるとしても、債権法上債務不履行による損害賠償請求権が発生するだけであつて、争議差止請求権の如きが発生するいわれはない。仮に争議差止請求権と呼ばれるものが発生するとしても、それは畢竟個々の組合員に対する就労義務の履行請求権に外ならないところ、労務の提供についてはその履行の強制を許すべきものではないから、これに対する法律上の救済方法はあり得べくもないのである。

四  いずれにしても争議差止の権能を具有すべき被保全権利は存在しない。

五  次に組合が前記労働協約についてなした改訂要求は申請人主張のようにその債務的部分に関するものであるとはいえ、労働者の地位の維持、向上のため忽せにできない要求を含む点においていわゆる規範的部分に関する要求となんら異るところがなく、これを以て不急の要求であるとなす申請人の主張は当らない。そして組合は右要求のため会社と団体交渉を重ねたが会社に誠意がなく妥結に至らないのでやむなく昭和三十五年五月二十一日大会において争議権を確立のうえ争議を決行するに至つたものである。従つて右争議につき申請人主張のように権利濫用を云為されるいわれはない。又申請人は右争議のため会社の営業目的たる銀行業務の公益性に基き異常な損害が生じる虞があると主張するが、事業の公益性という特別の事情による損害発生の危険を争議差止の必要性に挙げるのはみだりに公益性の観念を持出して憲法上保障された労働者の基本的権利を制約せんとする考え方に通じるものであつて、とうてい首肯し得るものではない。そして申請人が差止を求める争議はたかだか昭和三十五年六月二十三日までのものであつて右期間の争議によつて会社が蒙ることのあるべき通常の損害の如きはさほど甚大たろうはずがないから、仮の地位を定める仮処分の必要性を充すに足りない。

六  要するに争議差止による保全の必要性は存在しない。

第四当裁判所の判断

一  前掲申請の理由一ないし三の事実は当事者間に争がない。

二  申請人は右事実に基き組合が現に行い又行わんとする争議行為は労働協約から当然生じる相対的平和義務の不履行であるから会社からその履行請求権を行使して争議差止を訴求し得べきであると主張するので、労働協約から当然に平和義務といわれるものの実現を内容とする債権法上の履行請求権が発生するものであるか否かにつき考えてみると、一般に労働協約における平和義務とは協約当事者たる労使双方が協約の存続中協約の条項改廃を目的とする争議を行わない義務であつて、消極的には自ら争議手段を使用し又構成員にその使用を勧誘、指導、援助する等労働平和を攪乱する行為をしないこと(不作為)、積極的には労働平和を維持するため自ら又は構成員によつてなされるべき争議の開始を阻止し既に開始された争議を中止すること(作為)を内容とするものとして理解されている。そして平和義務は労働協約中債務的部分の中核として本質的に内在し又は暗黙の合意に基き発生するものであるから、その違反は債権法上の債務不履行に外ならないという見解が広く行われているもののようである。しかしながら右のような作為、不作為を内容とする平和義務が労働協約から当然発生するものであつても、これを債権法上の義務として措定し相手方が対応する履行請求権を取得するとなすことには法理的に疑なきを得ないところである。というのは前記のような内容の平和義務が労働協約から当然発生するものであるということの理論上の根拠に関しては、(1)、労働協約の本質上これに内在するという立場のものとして(イ)、労働協約の制度的な目的が労働平和すなわち集団的労使関係の安定の実現にあること、もしくは労働協約の社会的性格として平和的機能があることから当然とするもの、(ロ)、労働協約も労使間の契約である以上当然に守らるべきものであるとするもの(ハ)、労働協約の規範的部分が社会規範ないし法規範たる実効を保有し又はこれを実定法上の法規範として承認した国家の政策的意思を完全に担保するためには協約の履行につき協約当事者を拘束する債権、債務の関係を措定する必要があるとするものがあるほか、(2)、労働協約に伴う暗黙の合意に基く(明示の合意がある場合と異らない)という立場があるが、平和義務が協約当事者を拘束すべき所以についてはともかく、その関係を債権法上の権利、義務として措定する理由については平和義務が協約内容の実施ではなくいわば協約自体の尊重を目的とする労働法に特有の義務であることからすれば、右(1)の見解は制度的意味において、又右(2)の見解は当事者の合意の解釈においていずれも今一つのあきたらなさを拭い得ないのであつてにわかに左祖し難く、他にこの点の明確な根拠が示されない限りむしろ平和義務違反の争議が行われた場合の法的効果としてはその争議行為が争議を以て改廃に及び得ない協約条項に関する要求を目的とする点ないし期限による制限に反する点において違法とされこれがため民事上、刑事上の免責及び不当労働行為からの救済という労働法上の保護を受ける利益を失うものと解して妨げがあるわけでないし又それ以上を求めるのは飛躍を免れないからである。すなわち平和義務の内容を実現する債権法上の履行請求権は法理上これを認め難い。

三  果してそうだとすれば右のような債権を被保全権利としてなされた本件仮処分申請はその余の判断を示すまでもなく失当たることが明らかであつて、もとよりこの点につき疎明に代えるのに保証を以てすべきもではないから却下を免れない。

四  よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり決定するものである。

(裁判官 駒田駿太郎 西山俊彦 北川弘治)

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